1990年代に「愛は勝つ」を大ヒットさせたKANさん。
今年3月に「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していましたが61歳で亡くなったことが17日明らかになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
この記事では、KANさんについて経歴や過去に一発屋と言われた理由について調査していきます。
KANのプロフィール
\\か、な、ら、ず、最後に愛は勝つ〜🎹🎶// KANしゃんお若い😄✨✨ #KAN #kimurakan pic.twitter.com/QQFPm6KhEB
— しんたくやすいっち☆🐦 (@miyus0903) May 30, 2020
◆名前:KAN
◆本名:木村 和(きむら かん)
◆生年月日:1962年9月24日
◆年齢:61歳
◆出身地:福岡県福岡市
◆学歴:法政大学社会学部
◆所属事務所:アップフロントクリエイト
KANさんは幼少期に福岡市天神のヤマハ音楽教室に入室し、ピアノのレッスンをスタートしています。
小学校からは本格的にクラシックピアノを習います。
そしてKANさんは当時、団地住まいでしたがなんとピアノを2台設置するなど、音楽に対しての教育が徹底だったそうです。
そんなKANさんは小学生ながらとてもオシャレさんだったようで、長髪、赤いベルボトムジーンズ、オーバーオールを着こなすなど、ファッションリーダーとして学校内で一目置かれる存在でした。
福岡の老舗デパート「岩田屋」のランドセルのテレビCMや広告モデルで抜擢されています。
当時から目立つ方だったんですね。
KANの経歴
200万枚を超える大ヒット曲「愛は勝つ」で一躍有名となったKANさんの経歴をご紹介します。
1987年 | ビリー・ジョエルと出会う(当時高校生) |
1987年 | 「テレビの中に」でレコードデビュー |
1990年 | 「愛は勝つ」が200万枚を超える大ヒット |
1990年 | 「愛は勝つ」収録アルバムリリース |
1999年 | 結婚 |
2002年 | フランスの音楽学校へ通う |
2004年 | 帰国 |
2006年 | ミスチルの桜井和寿と「パイロットとスチュワーデス」を結成 |
2018年 | 山崎まさよしとユニットを組み、ミニアルバム「Take me Follow me/記憶にございません/手をつなぎたいんだ」をリリース。 |
2000年以降、メディアの前に出ることが少なくなったKANさんですが、いろんなアーティストの方とコラボされていました。
ミスチルの桜井和寿や山崎まさよしさん以外にも、スキマスイッチや秦基博さんともユニットを組んで音楽活動をされていました。
KANが一発屋と言われた理由
KANさんが1990年にリリースした「愛は勝つ」が大ヒットし、その後「一発屋」では?との声があがりました。
そんなKANさん、じつは「愛は勝つ」以外にも、名曲を作り続けているアーティストとして有名で曲をリリースされています!
このグッズ、可愛いですね😍
— kanakoro💙💛🌈 (@kanakoro14) January 25, 2023
KANさん、楽曲センスめちゃくちゃイイですよね!一発屋とか言う人もいますが、私は違うと思ってます✨わかる方がいて嬉しいです🙌
ユニコーンも小中高よく聴いてました☺️
KANさんが一発屋って、違うぞー!ぜひ特集して欲しい。#関ジャム
— 富山 孝治 (@TomiyamaKoji) February 1, 2021
KANは一発屋なの?いや違う!絶対違う‼︎
— まほ (@maho_ramram) January 31, 2021
今日の酔いどれ二枚目もビリージョエル。久しぶりに聴くと止まらなくなっちゃう。これはビリーがブレイクした後に発売されたライブアルバムだっけかな?そうだ、KANを知ってる?愛は勝つの人さ。でも一発屋じゃないよ。凄い才能を持った方。KANさん、ここら辺の影響大だろうな。 pic.twitter.com/Xsl2qnrUpA
— Hackun (@Jamhuckle_berry) February 1, 2021
「愛は勝つ」が200万枚の大ヒットとレコード大賞にも選ばれたことで、曲だけが有名になり過ぎてしまったのでしょうね。
当時、小学生の私もリアタイでKANさんの「愛は勝つ」をテレビで見ていましたが、すごい人気でした。
KANの経歴は?一発屋と言われた理由について調査/まとめ
以上、「KANの経歴は?一発屋と言われた理由について調査」をお届けしました。
「愛は勝つ」で一躍有名となったKANさん。
他にもたくさんの名曲を残されました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。